家具のある生活という文化が欧米に比べ、まだまだ浅い日本。
成熟したと言われる消費のなかでさえ、工場から出される量産品が多くを占めた家具市場。
ヨーロッパのアトリエにあるような手作りの、作り手が見える家具は今ようやく一つの選択として私達に認識されてきつつあるのではないだろうか?
家具を地場産業のひとつとして誇る飛騨でも、そうした工房が育ってきている。
丹生川村の静かな山あいに、家具工房を開いた音羽さんは、横浜生まれ。
大学を卒業後は大手保険会社でサラリーマン生活を経験する。
「営業を8年していました。しかし、カタチのないもの、しかも自分が納得出来ないものを売る仕事の一生は嫌だと感じたんです。 生まれは横浜ですが、子供の頃は近くに田んぼや野原があり、虫を採ったり自然に遊んでいた原体験から、田舎暮らしに憧れを持っていたこともあり、田舎暮しの生活の糧を何で得るかと木工の分野に飛び込んだのがきっかけですね。」
高山に設立された国際工芸学園の第1期生となり、2年間で技術と理論を学ぶ。
卒業する時は32才になっていた。自分の創りたい家具が見えはじめて来た頃だ。
「大学のOBでもある学園の恩師に、自分の家具を創りたいならどこかに勤めて独立しても、今始めても同じだろうとアドバイスをされ、自分達の工房を開いたのです。 始めは腕を磨くために下請けの仕事からのスタートでした。その時、作りたいものを作ってお金にしていく理想とは全く違う、仕事としての世界を知ったんですね。」
職人の枠に留まらない家具造りを求めて、音羽さんが向かったのは家具をオーダーしてくれるお客さんとの会話だ。 新宿パークタワーにあるリビングデザインセンターOZONE「工房家具ギャラリー匠の杜」を拠点として、家具の展示と月に2度出向いて商談を行う。
「私達の家具はいわば無農薬の、作った人の顔写真が付いた野菜と同じようなものだと思います。
オーダーしてくれるお客さんはお金を出して自分達にゆだねてくれているのですから、人間関係が何より重要だと思います。良いものを作って高く売るというだけでは成り立たない時代です。
その人に合った、手の届くところに自分達の技術を合わせていくことが求められていますね。」
ムクの一枚板を自由な発想でつかったテーブル。ケヤキの一枚板から作られたベンチ。
量産メーカーにとって木はマテリアルの一つであり、求められるのは均一な安定した素材であるのに対し、ここでは木はありのままの姿を生かしながら、家具として生まれ変わっていく。
「まず素材ありきです。できればお客さんに工房まで来ていただいて、素材選びから一緒に家具を作り上げていけたら嬉しいですね。」
自分達の家具が作りたいと、はじまった工房がユーザーの声に耳を傾けている。そこにはデザインの押し付けはなく、同じテイストを共有していく顧客と作り手の会話がある。そこにモノ造りの原点があるのではないだろうか?
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