
「拝む」という言葉を英語にすると「祈り」と同じ“Play”とある。
しかし私達は「拝む」時、ただただ「感謝」し無心になるものではないだろうか?拝むというのは独特の言葉なのかも知れない。
仏像を彫る仕事を仏師という。
高田さんと仏像の出会いは、中2の頃、押入から偶然出てきた1枚の絵葉書に始まる。法隆寺の九面観音の写真だった。
「こんな像を誰が彫ったのだろうと感動しました。それからこんな像を彫ってみたいと思うようになったのです。
しかし岐阜県には仏師がいません。そこで一刀彫り師の元に弟子入りし、一刀彫りの腕に自信が付いた頃、思い立って京都奈良へと夜行列車で向かいました。
市役所、京都伝統彫刻組合、奈良国立文化財研究所…様々な場所を訪れ話を聞いていただきましたが、弟子入りは叶わぬということで途方にくれました。
しかし奈良で太田古朴という仏師に家にあげていただいたのです。この方も18才の頃田舎から出てきて、独学で仏像を彫ることを学んだ方だったのです。」
師はあらゆる仏像を実測し、仏像に初めて胃カメラを入れ修理を施すなどの第一人者だった。
そこで高田さんは著書を3冊いただく。
「独学でやってみなさいと言葉をいただきました。それからは一刀彫りの仕事が終わると夜中まで仏像を彫り、年に数回、師をたずね、教えを乞いました。」
一刀彫りの弟子入り期間を終えると、出会いから姫路に住む会社経営者から、自宅に住んで好きな時に好きなものを彫ってくれと依頼がくる。
「あらゆるものを気の向くまま彫りました。ある日頂き物のカボチャが余りに立派だったので、彫ってみたんです。
しかし、カボチャは生き物です。彫り進んで行く内に、どんどん変化していってしまう。その間、食事と睡眠を取るくらいでなんと45日かかってカボチャを彫り上げました。」
24才の時である。そのカボチャをくれたのは井上永悠という、京都の画家だった。
「それまで、いいものを創りたいと思って来ましたが、いいものを創るにはどうしたら良いのか分からないでいたんです。ある日その画家に尋ねると『自分はこのカボチャに命を捧げても良いと思って描く、いいものを創るなら命がけでやれ。自分の名を売る必要はない。それがいいものであれば、人は崖の上でも、海の底でも探してやってくるものだ。』と言われたのです。そこで、いつも100%自分の力を出し尽くすという、一つの目的が出来たのです。」
仏師として故郷の高山に戻り、京都に住む仏師、松久宗琳の外弟子となった高田さん。
松久宗琳は高田さんの彫る仏像をみて『技術は自分より上だ。あとは心の問題だ』と言う。
仏教は簡単にわかる世界ではないものの、座禅を組んだりその教えに触れてきた高田さん。
「人は生かされているという実感がわかってきたのです。
人は一人では生きていけないし、一人の身体でさえ、自分が意識しなくても心臓が動き、呼吸をし、器官は働いてくれているのです。
その上、植物や動物など生きている命を絶って、私達は生きています。
自分の勝手な振る舞いだけで生きていてよいのか?と感じますね。
せめて仕事で恩返しができたらと思うのです。自分の彫った仏像が、世の為人の為になるか分かりませんが、せめて拝んでくれる人の心が安らいだり元気になってくれたらいいのです。」
人が幸せになるには自己満足では満足できない。他の人を喜ばせ幸せにしてこそ、初めて幸せを感じることができるのだと高田さん。
「だから人にしてもらうことの方が多いんですよ。」と笑顔がこぼれた。
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