
かつて細川政権下でビールの酒税が年間2,000キロから60キロへと引き下げられ、地ビールが各地で製造されるようになった。
その多くは観光施設に附随したものであったり、大手ビールメーカーが製造機械と原材料、製造マニュアルをセットにして提供し、製造ノウハウが無くても開業できたものだったという。
ブームは現在、落ち着きを見せた感だ。飛騨高山麦酒は地ビール会社の中にあり、珍しく個人での営業である。
ともと飛騨牛の畜産をしていました。ビールかすというのは通常廃棄物ですが、牛にとってはこの上ない良質な飼料になります。地ビールを作って、そのかすを牛に与えれば…と思い付いたのがきっかけです。」
日本になかった英国エール系のビールを造ろうと安土さんは東京農大の友人を訪れ、かつてイギリス領で英国スタイルのビール造りが盛んなスリランカを紹介される。早速、スリランカに渡った安土さんは、何人ものビール職人に会った。そこで出会ったのが、ブラウマイスターの資格も持つパドマさんだ。
は当時、マッカラム醸造所でトップマイスターをしていました。経験が豊富であらゆるスタイルのビール造りに精通していて、その人柄にも好感を持ち、高山に来ていただくことになったんです。」
スリランカからやってきたパドマさんと安土さんのビール造りが始まる。
メーカーのシステムに乗らない、職人のビール造りだ。そうなると、本は英語で書かれたものばかり、身分制度のあるスリランカでマイスターとしても上層階級だったパドマさんと、笑ってしまうような文化の違いもあったという。
にかく味は、自分達が旨い!と思えるものを造ろうと思っています。発酵や状態によって味が変わっていくものなので、面白いですね。酵母をろ過した一般的なビールと違って、生きた酵母が溶け込んでいるビールですから、イーストが食べない部分の甘味や香りがあって、ゆっくりと味わって欲しいですね。」
資材を仕入れているアメリカの業者からの勧めで、2000年にはワールドビアカップに出品、なんと銀賞に輝いた。
国内ジャパンビアカップなどでも金賞はじめ数々の賞も受賞している。初めてニューヨークでの表彰式にも出席した、カルミナというそのビールは、長期保存が出来、瓶の中でゆっくり発酵していくため、味や香りが変わっていき面白いビールなのだそう。
ビールは本当に美味しいものが増えていくことが大切だと思います。地ビール誕生の際に多くのマイスターがドイツやイギリスからもやってきたのですが、すでに彼らの多くは帰ってしまったと聞きます。その点からもウチは長くパドマさんがいてくれるので、ありがたいです。ここでしか出来ないビール造りをこれからも続けていきたいですね。」
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